森の路はずれ
ゲーム音楽という素晴らしい贈り物
- 2012年1月26日 22:03
- 随筆・コラム
ゲーム音楽、特にロールプレイングゲームのBGMに対して抱く愛着とはなんだろうと考えたとき、それはやっぱり”報酬”だから、なんですよね。ゲーム世界からの贈り物。このエントリーで用いられる「ゲーム音楽」とは「ドラゴンクエスト」「ドラゴンクエストⅡ」「ドラゴンクエストⅢ」のロト三部作を想定しています。「すぎやまこういちとドラクエの旅路」というテキストを最近読みましてね。こういうプロフェッショナルなテキストをネットでタダで読めるというのは素晴らしいことですが、欲を言えば一冊の書籍として読みたかったです。それくらい歯ごたえのあるテーマだと思う。
ゲーム音楽とは、プレイヤーが意識的に選択し、それによって獲得される音楽だと言っていいのではないかと思います。たとえばシビアな冒険の末にある街に辿り着けたとする。すると街の音楽として規定された音楽も同時に聴くことになりましょう。「街を目指す」という目的・意思と、「街に辿り着く」という結果・成果は、ゲーム内におけるプレイヤーの選択と努力による賜物であり、その街で今までにない強い武具が買えたり、重要なアイテムがもらえたりするといったゲーム文脈的な報酬より、街の音楽を聞いて「思わずホッとする」が、プレイヤーにとって真っ先に直接的で、直裁的で、感覚的な成功報酬でありましょう。
たとえば「ルビスのまもり」を手に入れたときの、一度しか聴けない音楽。アイテムとしての価値はいまだ不分明なのに満ち足りた気持ちになるのは、短いながらもあのやさしい音色によるところが大きいでしょうし、あるいは、ロンダルキア台地で一歩一歩慎重に歩を進め、ようやくほこらに到着し、あの物悲しい音楽に触れる、せつなさと安堵のあまり感極まってしまうというようなこと。
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「ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男」 牧野武文
- 2012年1月23日 08:09
- 漫画じゃない本の感想
僕の高校以来の友人に、おもちゃとかゲームがたいそう好きな人がおりまして。まあおもちゃといっても、知恵の輪とかブロックなどさまざまなパズル、ルービックキューブ系(?)の頭を使うおもちゃであり、ゲームといっても、UNOやモノポリーなどパーティーゲームが主でしたが。放課後の教室、仲間内で「なんかやろうぜ」という雰囲気になると、彼はかすかな笑みとともにUNOやモノポリー、あるいは見たこともないボードゲームを持ち出してきて、「どっから持ってきたんだよwww」とツッコミつつも、僕らは彼に遊び方を教わりながらワイワイ楽んだものです。何度か東急ハンズにも付きあったっけなあ…。
そんな彼が、スーパーファミコンの「ファイナル・ファンタジー」最新作を貸してあげてもちっとも進まなかった彼があるとき、あの控えめな笑みとともに見せてくれたのが、バンダイから発売されたばかりの携帯ゲーム機「ワンダースワン」であり、真っ先に遊んでいたのが「グンペイ」でした。
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「老後の生活破綻 身近に潜むリスクと解決策」 西垣千春
- 2012年1月22日 11:36
- 漫画じゃない本の感想
おいおいもう老後の心配かよwwwと貴方はお思いになるかもしれませんが、人生の折り返し地点が薄らぼんやり視界に入り、大器晩成型と信じこれまでどうにか生きてこられた僕にとって、本当の戦いはむしろこれ(老後)から。遅咲きの春を早咲きの君と謳歌するための創造的気構えを早くから馴らしておくに越したことはないのです。絶望を予防するための第一歩は、夢を見ること、「生活困窮を予防するための第一歩は、リスクを知ることである。高齢期を過ごす本人はもちろん、周囲の人もリスクに対して意識を持つ必要がある」(90P)。そして本書「老後の生活破綻 身近に潜むリスクと解決策」の意義は、"読む=意識する"、これに尽きると申せましょう。
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「ひとひら 小説版」 志茂文彦
- 2012年1月22日 00:17
- 漫画じゃない本の感想
「不意に思った。――ああ、そうか。『ひとひら』。この芝居は『ひとひら』というタイトルだ。それがどういう理由でつけられたものなのか、(略)今、わかった気がする。たったひとつの言葉が――」。アニメ化され、原作はすでに完結している漫画作品「ひとひら」の、本作はちょうどアニメで扱ったのと同じパートを「大人気脚本家」氏が小説化したものです。原作を全く知らない人にとって、あるいは小説単体としては正直、取るに足らない内容で、原作やアニメに思い入れのある人が読めば、多少なりの興を後付ながら添えることにはなりましょう。残念ながらそれ以上でもそれ以下でもない読み物でございました。
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「据次タカシの憂鬱」(4) あどべんちゃら
- 2012年1月16日 09:12
- 萌え4コマ
言わずと知れた(で済ませたいよいい加減…)ニート青年ファミレス美少女モテまくリア充人生祭り上げられ疾風怒濤ことごとく空回り4コマ漫画。思春期イベント悲惨体験の総合商社にしてトラウマなフラッシュバックに悩まされているひきこもり主人公・据次タカシが、どういうわけか美少女ヒロインたちに過大評価・チヤホヤされて、こんなはずない、俺の人生がこんなにリア充であるわけがないと訝しがりながら、不本意なプレッシャーや不用意なお色気攻撃に血反吐まき散らしながら、やっぱり全然ダメなのに、どうして全然成り上がってゆく。厄介すぎる僥倖、"生褒め殺し"生中継シリーズの4巻目にあたる今回は、これまでさんざ"お預け"してきた据次と涼本わかなのラブコメがスパーク、たいへん美味しゅうございました。表紙裏のパンチラも必見(卑怯)。
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「障害を問い直す」 松井彰彦 川島聡 長瀬修
- 2012年1月16日 04:02
- 漫画じゃない本の感想
障害とはなにか――。先天的あるいは後天的に身体・精神障害を負ってしまった人たちが、非障害者や社会・制度からどのように認識・把握され、障害者自身がその障害自体および非障害者や社会・制度をどう認識・把握しているのかを、まるで"城砦"を囲う外堀を全方面から新奇な作戦で埋めていくかのように、本書は伝統的でない論点から幾人もの学者がさまざまに論じる。障害の定義から議論を詰めていくことで、社会・諸制度の改善と、人々の意識の改良とを根本から思考し、個別具体的な現実と困難(障害の有無に関わらない生きづらさ)を生み出す社会構造そのものの改革を志向する障害学(ディスアビリティ・スタディーズ)入門書でございました。
こういう本を学生時代に読みたかった。
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「かためで!」(1) shige
- 2012年1月14日 12:45
- 萌え4コマ
女子高生は、刀。”発育”という名刀匠によって15年の長きにわたり鍛錬されようやく世に送り出されたばかりの鮮麗たる日本刀であると申せましょう。そんな刀を愛でる略して「かためで」。眩しいまでに優美で細身、しなやかな丸みを帯びながらも切れ味はめっぽう鋭く(性的な意味で)、触ると怪我では済まされない(青少年育成条例違反的な意味で)のだから、もう愛でるしかないじゃないですか。彼女たちは鞘から抜かれることのない刀なんだ、もちろん別の意味で抜かれることはあるけどね!
というわけでこの漫画、日本人ぜんたいファッション感覚で刀を差してる実に危なっかしい現代社会にあって、制服ならぬ「制刀」を授与されたばかりの女子高生3人の、刃こぼれどころか刀身”ぐんにょり”ゆるい日常を描き、鍔迫り合いや血飛沫とは無縁のいたって安穏ふつうにお気楽萌え4コマ作品でございます。
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「LIFE AFTER THE DEAD」 東山神兵
- 2012年1月12日 12:37
- 同人誌・即売会
「わたしはゾンビになったと思うときがあるの」。宮城県石巻市のアパートで一人暮らしをしている女性(46)が、そうつぶやいたと、取材した記者のコラムで読みました。女手一つで育てた長男(23)と長女(9)、両親を大津波でいっぺんに失ってしまい心が癒えないのだと。「あのときこうしていれば」「あんなことを言わなければ」……どうしようもない罪悪感に押しつぶされそうになりながらも、生きていかなくてはならない人間が、ゾンビだというのならば、本作品の仮想する、死んだ直後ゾンビとして蘇り自分の肉親や友人を食い殺してしまったものの薬のおかげで意識を取り戻した”元”ゾンビ(元ゾン)という存在と、どれほどの違いがあるのだろうかと、僕は思ってしまったのです。
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「アイデンティティと暴力 運命は幻想である」 アマルティア・セン 大門毅(監訳) 東郷えりか(翻訳)
- 2012年1月10日 21:08
- 漫画じゃない本の感想
日本漢字能力検定協会が発表した2011年を表す漢字は「絆」――たしかに昨年中はよく見聞きした言葉でした。それまで希薄だと言われていた、人と人の結びつきと、人々を結びつける場=隣近所や地域社会、商店街から趣味のサークルからNPO団体、いわゆる共同体にたいする帰属意識(連帯感)を拠りどころ(アイデンティティ)とした助け合い意識が俄然高まった年であったと申せましょう。それらは社会資本(ソーシャルキャピタル)とさえ呼ばれる。しかし一方の世界では、宗教・民族・文明にたいする人々の帰属意識(連帯感)が排他的意識を孕み、とくにムスリムとしてのアイデンティティが異宗教・異民族・異文明間で紛争やテロを発生させ、勢いづけているという指摘もあります。
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「経済学の哲学 19世紀経済思想とラスキン」 伊藤邦武
- 2012年1月 8日 12:17
- 漫画じゃない本の感想
未曾有の東日本大震災、想像絶する大津波が住民の財産を一瞬にして根こそぎ飲み込み、労働の場を奪い去ってしまいました。こんなにも脆い富とは?労働の意味とは?生き残った人々からもローンを搾り取ろうとする経済とはなんなんだ……。そんな絶望的問いかけに対し、100年以上も前に経済と環境と人間のよりよき関係を想像していたイギリスの哲学者ジョン・ラスキンの残した言葉が、慰めになるのかどうか僕にはわからないけれど。光、ではありましょう。氏の思想をいまこそ紐解き、参考にして、日本と日本人のよりよき復興を約束する経済と価値について構想しよう。
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